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中山安兵衛
1925(大正14)年 日活京都・波多野安正監督 尾上松之助主演
228Feet(約3分48秒)
生涯で1000本以上の映画に主演した日本で最初の大スター尾上松之助晩年の作品。この作品は、安兵衛が伯父の菅野六郎左衛門の助太刀をして18人斬りを行う名場面(「高田馬場の決闘」)。それを見た堀部弥兵衛と妙親子に見初められ、赤穂の一員となる「忠臣蔵外伝」の一つ。
血染の十字架
1927(昭和2)年 阪妻プロ松竹・安田憲邦監督 阪東妻三郎主演。
109Feet(約1分49秒)ライオン社販売
俳優として初めてスター・プロを設立した阪東妻三郎が、時代劇としては珍しい切支丹ものに挑戦。キリスト、神父、侍の一人三役を演じている。ピストルでの乱闘シーンは、当時の西部劇の影響が窺えて面白い。
まぼろし峠・江戸の巻
1931(昭和6)年 右太プロ・古野英治監督 市川右太衛門主演。
102Feet(約1分42秒)
市川右太衛門は、阪妻の後にマキノ映画でスターとなり、独立。奈良市のあやめ池に撮影所を開いた。右太衛門は、舞を意識し、流れるような美しい型の殺陣を考案した。この作品の座ったままでの殺陣の映像は、彼の立ち回りの特徴をよく表している。
月形半平太
1933(昭和8)年 日活京都・伊藤大輔監督 大河内伝次郎主演 20Feet(約20秒)
幕末の志士。モデルは土佐藩、武市半平太。イドーダイスキ(移動大好き)の異名を取った伊藤大輔の演出は冴えに冴えている。クライマックスは、御用灯の効果的な照明で、壮絶な死闘を繰り広げる。
題名不詳
47Feet (約47秒)
松竹キネマから「稚児の剣法」でデビューした林長二郎(長谷川一夫)は、女性ファンに絶大な人気があった。とはいえ玩具映画は、女性や子どもには高価なものであったためか、林長二郎の作品は意外に少ない。この作品は題名も詳しい内容も不明。この作品の関する情報をお持ちの方はご一報ください。
花火
1931(昭和6)年 千恵蔵プロ・伊丹万作監督 片岡千恵蔵主演 33Feet(約33秒)
伊丹万作のまぼろしの映画。明朗時代劇の鬼才、知的ナンセンス時代劇のジャンルを開発した伊丹万作は、この映画でも、剣豪とは呼べないひ弱な浪人を主人公にしている。あまりにも弱く、剣が汚れると相手にもしてもらえない仇を最後に倒す。花火との対比の中で描いている。
清水次郎長 ドクロ篇
ドクロ篇 1928(昭和3)年/日活太秦/辻吉郎監督/主演:河部五郎
91Feet(約1分31秒)
次郎長に河部五郎。のちに「アノネのおっさん」と呼ばれ、喜劇役者として人気を得た高瀬実(実乗) が凄味のある仇役を演じている。合成画面の富士山を背景にした大乱闘場面は迫力もあり、またシュールでもある。
御家人桜
1932(昭和7)年/嵐寛寿郎プロ・新興キネマ/並木鏡太郎監督/主演:嵐寛寿郎
103Feet(約1分43秒)大毎キノグラフ社。
原作は子母沢寛。雑誌「朝日」に連載された時代小説の映画化。寛プロ双ヶ丘撮影所での作品。嵐寛寿郎扮する浪人は騙され、仇討ちに出るが、それが陰謀であったと判った時、女は斬られ、ついに剣を抜く。橋上での死闘となる。
お好み安兵衛・花婿の巻
1932(昭和7)年/阪妻プロ・新興キネマ/東隆史監督/
主演:阪東妻三郎
大毎キノグラフ/104Feet(約1分44秒)
時代劇の中で最も有名な高田馬場の決闘。正月映画らしく、まといやのぼりを振りながら「大統領!」と声援を送る野次馬たち。リアリズムよりもショー的な活劇。剣戟王と呼ばれた阪妻映画だけに華やかさでは一番。尾上松之助の「中山安兵衛」、大河内伝次郎の「血煙高田の馬場」などと比較して見るのも面白い。
奥方お藤の方
詳細不明 39Feet(約39秒)
「奥方お藤の方」というタイトルはあるが、原題は分からない。これは玩具会社がつけたもの。出演者などを見て映画会社や作品名を特定するが、この映画に関しては全く詳細が分からない。奥方が女形らしく、大正期の作品か?
この映像に関する情報をお教えください。
忍術真田十勇士
1935(昭和10)年/極東映画/仁科熊彦・山口哲平監督/
主演:羅門光三郎 42Feet(約42秒)
羅門光三郎主演の忍術ものとして人気があった。極東映画はのちに羽曳野(古市)の白鳥園に撮影所を作り、多くの時代劇映画を作ったが、すでに羅門は退社しており、この作品は甲陽撮影所時代のもの。猿飛佐助や霧隠才蔵など忍術スターが総出演。熊に化けたり、パッと姿を消すなど、アナログの特撮ものとしても面白い。
渡し場の茶屋
紋三郎の秀
1931(昭和6)年/松竹下加茂/渡辺哲二監督/主演:林長二郎(長谷川一夫)
朝日フィルム 103Feet(約1分43秒)
原作は、「サンデー毎日」連載された子母沢寛の時代小説。賭場のもつれから、恋女房のお静を殺された笠間の秀五郎は恨みを晴らしひとり旅に立つ。草鞋をぬいだ先でお静に瓜二つの娘に出会う。娘は宿敵の親分の娘だった。一宿一飯の義理に悩む。股旅もの一つ。
血煙高田の馬場
1928(昭和3)年/日活太秦/伊藤大輔監督/主演:大河内伝次郎
白木屋 51Feet(約51秒)
伊藤・大河内コンビの代表作の一本。"イドーダイスキ"の撮影は唐沢弘光カメラマン。立ち回りのリアリティだけでなく、手持ちカメラの動きが映像の躍動となり、緊迫感を盛り上げている。玩具映画には、大河内のものが多いことを見れば、当時の人気ほどが伺える。
雪の渡り鳥
1931(昭和6)年/阪妻プロ/宮田十三一監督/主演:阪東妻三郎
105Feet(約1分45秒)
長谷川伸原作の股旅ものの代表作。鯉名の銀平、雪の渡り鳥は、これが初の映画化。この作品は長尺の作品として残っている。玩具映画では、この映画の最も有名な雪の中での立ち回りシーンを再編集している。
仇討選手
1931(昭和6)年、日活太秦、内田吐夢監督/主演:大河内伝次郎
29Feet(約29秒)
内田吐夢監督の失われた映画の一つ。内田は現代劇監督だったが、社会主義的な映画は検閲により作れなくなる。そこで時代劇に挑戦した。赤穂の仇討快挙にあこがれた殿の命で、植木屋が急仕立ての侍にされ、弄ばれるという時代劇傾向映画の傑作となった。
元禄快挙・大忠臣蔵
1930(昭和5)年/日活太秦/池田富保監督/主演:大河内伝次郎大毎キノグラフ 53Feet(約53秒)
多様な役柄を配した「忠臣蔵」は、オールスター映画として各社競い合った。中でも、大石蔵之助はその会社の顔、大看板の証明になる。伊藤大輔とのコンビ「長恨」(昭和1年)、「忠次旅日記」(昭和2年)でブレークした伝次郎は、昭和5年の正月映画に、日活の大看板を背負う大スターになった。
芸者の座敷踊り
67Feet(約1分7秒)
題名内容とも詳細は分からないが、チャンバラ・シーンの若侍(マキノ正博)と同じフィルムならば、マキノ映画と特定できる。回想シーンはセピアに、チャンバラの夜のシーンはブルーに染色されている。モノクロ時代の色彩への憧れは、染色、調色(トーニング)、彩色と様々な表現技術を生み出した。
赤穂浪士?実録忠臣蔵?
帝国キネマ160Feet(約2分40秒)
大阪の帝キネ(帝国キネマ演芸株式会社)作品である事は、字幕部分にある社章によって確定できる。帝キネの「忠臣蔵」は、画面や書割などから推察して、大正期の作品と特定でき、「赤穂浪士」(1921年)か「実録忠臣蔵」(1923年、中川紫郎監督)と絞り込むことができる。
京へ上った旗本退屈男
1930(昭和5)年/右太プロ/監督:古野卓二/市川右太衛門主演
キング 50Feet(約50秒)
市川右太衛門の十八番と言えば、江戸城に上がる時も、着流しの派手な衣装が許されたという、直参旗本の早乙女主水之介。「眉間に冴える三日月形、天下御免の向こう傷、人呼んで、旗本退屈男」。シリーズ化され、第2作目。旗本が京へ上る。
国定忠治
1925(大正14)年/東亜/牧野省三
孔雀フィルム 86Feet(約1分26秒)
新国劇で一世風靡した沢正が、牧野省三の誘いで映画初出演した記念すべき作品。剣戟映画のリアリズムを確立する事になる。ちゃんばら全盛の先頭に立ったが夭逝し、剣劇のリアリズムは阪妻や大河内へと引き継がれて行った。
暗討ち
詳細不明 109Feet(約1分49秒)
大正中期以前の映画であることは、カメラを固定した屋外での芝居と女形たちの出演から推察できる。「暗討ち」とのタイトルがあるが、原題ではなく、玩具用に販売された時に付けられたものだろう。この映像だけでも、当時の映画製作の水準を推し量ることが出来る。
神変麝香猫・悲願復讐篇
1932(昭和7)年/阪妻プロ新興/東隆史
50Feet(約50秒)
吉川英治原作の切支丹異聞猟奇小説の映画化。島原の乱の後の泰平の江戸の町に、あやしき湯女を中心にくり広げられる波乱万丈の物語。鈴木澄子の色気と阪妻の熱演によって大ヒットしたとされる第一話。この玩具映画では、阪妻の場面だけが集められている。
投げ節弥次
投げ節弥之 1931(昭和6)年/松竹下加茂/二川文太郎監督/林長二郎(長谷川一夫)主演
ライオン 32Feet(約32秒)
長谷川一夫が「紋三郎の秀」に続き、子母沢寛の連載小説(雑誌「キング」)の映画化に主演。松竹下加茂作品は、1950(昭和25)年の撮影所フィルム倉庫の火災によって、戦前の京都作品のすべてを消滅させている。この「投げ節弥之」も残存しない貴重な映像。
大菩薩峠・甲源一刀流
1935(昭和10)年/日活太秦/稲垣浩
46Feet(約46秒)
原作は、中里介山の未完の大作。甲源一刀流の達人であり、意味なく人をあやめる盲目の殺人鬼、机龍之助。このキャラクターの創出は、日清、日露の戦勝に沸き、軍国化する世の中への虚無的抵抗とも解釈されている。その第一作。戦後の眠狂四郎の原型でもある。
巾着切り(街頭でのスリ) 題名不詳
中山安兵衛? 題名不詳
83Feet(約1分23秒)
制作会社、作品名とも不詳。立ち回りや装束などから、中山安兵衛と推察できる。野次馬も見物人もなく地味なものだが、戦いの途中、安兵衛に酔い醒ましの水を与える婆やが現われたり、ラストに堀部親子が登場することで、高田馬場の決闘ものであることは明らか。
栗山大膳
1936(昭和11)年/日活京都/稲垣浩
32Feet (約32秒)
徳川幕府による“お家取り潰し”が相次ぐ中、黒田家の家老栗山大膳は、主君を「徳川への謀反あり」と訴える。いわゆる黒田騒動である。忠之に謀反の事実なしと、所領の一部没収だけで済み、浪費癖のある主君の失政による取り潰しを未然に防ぐことになる。
二宮金次郎
51Feet (約51秒)
薪を背負いながらも本を読む二宮金次郎の銅像は、以前には何処の小学校の校庭にもあった。早くに両親を亡くし、苦学しながら、後に家を再興させ、農地改革などの偉業を達成する。身分や貧富の差には関係なく、学業を勤しむ少年少女たちの鑑とされた。
荒木又右衛門 春季特作品
1931(昭和6)年/日活京都/辻吉郎監督/大河内伝次郎主演 72Feet(約秒)
昭和初頭の日活において、伊藤大輔と双璧を成す時代劇の旗手が、辻吉郎だった。白装束に白い砂塵をあげての凄まじい剣戟。「荒木又右衛門」は、彼の代表作であると共に、その演出技量は絶大な人気を博した。
家賃と娘と髷浪人
1931年、右太衛門プロ、小石栄一監督、主演:市川
右太衛門
歌舞伎俳優・二代目市川右団次に弟子入りしたが、門閥出身でないため、牧野省三の誘いで映画界にデビュー、マキノのスターになった。スタープロを設立、奈良あやめ池に撮影所を開く。生涯二枚目スターを通した。
剱を越えて
1930年、日活京都、渡辺邦男監督、主演:大河内伝次郎
本作は、山田五十鈴のデビュー作として貴重なもの。しかし、この玩具映画は剣戟シーンだけでまとめられているため、彼女は登場しない。メイクは「黒塗り」と呼ばれ、歌舞伎からの脱却、映画のリアリズムを目指した。
平手酒造
1928年、日活京都 志波西果監督、主演:大河内伝次郎
当時の映画は、歌舞伎からの脱却がテーマであった。その意味では、乱闘時代劇とか剣戟時代劇と呼ばれた活動写真(映画)は、映画リアリズムの確立の証明でもあった。この「平手酒造」での、凄まじい形相と激しい立ち回りでの写実性は、伝次郎の独断場であった。
狂へる名君
1929年、松竹下加茂、井上金太郎監督、主演:林長二郎(長谷川一夫)
美少年俳優でデビューした林長二郎(長谷川一夫)の新境地を開いた映画。この玩具映画は、長刀を振り回し、狂乱のちゃんばらシーンである。華麗なキャメラワークや俯瞰ショットからのは、当時の映画の技術水準や創作者たちの勢いが推察できる。
一心太助
1930年、千恵蔵プロ、稲垣浩監督、主演:片岡千恵蔵
天下のご意見番、大久保彦左衛門に意見する男、一心太助。魚河岸の一町人が将軍や旗本の我侭も許さない。快活で気風が良く、江戸の町を明るくする市井のヒーロー。明朗時代劇の旗手稲垣浩は人情時代劇を得意とした。
鞍馬天狗・復讐篇
1939年、日活京都、松田定次監督、主演:嵐寛寿郎
鞍馬天狗と言えば嵐寛。嵐寛と言えば鞍馬天狗。一世を風靡した嵐寛のはまり役。捕らえられた角兵衛獅子の杉作少年たちを助けに、単身、敵船に乗り込み、直参悪旗本と戦う。同志たちも駆けつけ、復讐を遂げる。勤皇の志士「鞍馬天狗のおじさん」は倉田典膳。
大剣戟・髪
1929年、右太プロ、城戸品郎監督、主演:市川右太衛門
1929年(昭和4年)は、世界恐慌が起こった年である。1923年(大正12年)の関東大震災によって慢性的な不況が襲い、失業者があふれ、庶民の不満が充満していた。この時代が剣戟映画の全盛期であり、庶民の鬱積した感情が画面の中に反映し、観客を熱狂させた。
謎の人形師
1929年、日活京都、志波西果監督、主演:大河内伝次郎
志波西果はマキノで脚本家としてデビュー、帝キネに移って、現代物を得意とした。阪妻プロに招かれ時代劇で花開いた。独立プロを転々とし、日活でこの作品を演出した。不振時代のものとされているが、「平手造酒」と共に、特異なリアリズムは再評価すべきではないか。
江戸情炎史
1936年、千恵蔵プロ、原顕義監督、主演:片岡千恵蔵
幕末の出羽松山藩では、攘夷派と佐幕派に分かれて内紛にまで発展する。ここが、226事件の影響もあり、検閲に通らず、保留とされた作品。『江戸城炎上』を『江戸情炎史』に題名を変え、再編集して封切られた。トーキー作品だが、玩具映画としては音声がない。
三味線武士
1939年、日活京都、衣笠十四三監督、主演:嵐寛寿郎
サンデー毎日に掲載された芸道もの。「芸の道を究めるのも美事じゃ」と藩主からお褒めの言葉を賜り、武士を捨て、芸道一筋に専念する。劇中、長唄、筝を演奏するが、寛寿郎は名取でもあり、剣戟だけでなく、芸域の広さをアピールした。因みに、嵐寛は飛行機免許も持っていた。
題名不詳(「御用船」?)
主演:林長二郎(長谷川一夫)
この作品の題名や内容は不明である。ラストシーンで主人公が引かれる船上の場面で推測しているに過ぎない。もし、『御用船』なら、1927年(昭和2年)松竹下加茂作品、監督は衣笠貞之助、撮影は杉山公平、共演は千早晶子である。
エノケンの森の石松
1939年、東宝東京、中川信夫監督、主演:榎本健一
浅草「カジノ・フォーリー」出身の日本の喜劇王である。ガラガラ声で歌う和製ジャズは意味不明で、一世を風靡する。トーキー時代の喜劇映画に登場。しかし、この頃は、国家総動員法が発令され、喜劇映画にもかげりを見せた時期のもの。玩具映画でも、エノケンものは珍しい。
宮本武蔵
1929年、千恵プロ、井上金太郎監督、片岡千恵蔵
千恵蔵の十八番の一つに、宮本武蔵役がある。この作は、その初もの。吉川英治が新聞小説として大ヒットさせた『宮本武蔵』は1935年に連載を開始。その以前の講談本での剣豪武蔵像をオリジナルとしているところに興味深い。
題名不詳(時代劇)
字幕に「岡引の銀蔵」とあるが、題名内容とも不明。単に劇映画の切れ端か、このような映画の断片をおもちゃ映写機のサービス品として売ったものか判別できないが、このようなフィルムを手回し映写機で楽しんでいたことは間違いない。
夢うつゝ三百年往来
1926年、東亜キネマ、松屋春翠監督、大黒屋黄吉(団徳麿)、生野初子
「真田幸村の家臣の家臣」という人を喰った字幕があり、大阪冬の陣が背景ではないか。怪優・団徳麿の若き日の映像として面白い。雑誌「劇と映画」(大正15年、国際情報社刊)には、団黒太郎とあるから太田黒黄吉、大黒屋黄吉、団徳麿と芸名を目まぐるしく変えている。
頭巾の立ち回り
帝キネ、市川百之助
市川百々之助は、"百ゝチャン"と言って、年少の子供たちに絶大な人気があった。おもちゃ映画といっても、子供には買えない。そこで、玩具映画としては最も短い20feetもので販売されたようである。だから、20秒ほどで終わってします。この作も題名が判らない。
月形半平太
1925年、連合映画芸術家協会、衣笠貞之助監督、沢田正二郎
直木賞で有名な直木三十五は、大衆小説の大家となる以前、大手会社が独占する映画界に新風を巻き起こした。牧野省三などに呼びかけ、連合映画芸術家協会を設立。自主製作・自主配給を提唱する。新国劇の沢正を映画界に招き、この作は、記念すべき協会の第1作である。
大政小政
1928年、帝キネ、渡辺新太郎監督、松本田三郎、嵐璃徳
帝国キネマ演芸株式会社(帝キネ)は、関西の映画会社であり、震災を受けなかっただけに、芦屋や小阪、長瀬に撮影所を持ち、多種多様な娯楽映画を量産した。この映画では、創設時からの重鎮、嵐璃徳が清水次郎長を演じている。
加賀見山 槍持街道
1936年、マキノトーキー、根岸東一郎監督、原駒子:槍持街道1936年、マキノトーキー、中川信夫監督、田村邦男
これは玩具映画ではないと思えるが音声はない。共にマキノ・トーキー作品で、製作と録音をマキノ正博監督が担当している。奥方の刃傷未遂が「加賀見山」、旅シーン(写真)は「槍持街道」。コレクターが同作品と思ってつないだのかもしれない。
文武太平記
1935年、寛プロ新興キネマ、吉田信三監督、嵐寛寿郎
嵐寛寿郎の姪にあたる森光子のデビュー1年目の作品ではあるが、この玩具映画はちゃんばらシーンだけを集めており、残念ながら森は登場しない。この映画はサウンド版だが、玩具映画には音声がない。ブルーに染色されている。
源三郎異変
1934年、松竹、大曽根辰夫監督、林長二郎(長谷川一夫)、千葉三郎
玩具映画では、林長二郎(長谷川一夫)の作品は少ないのだが、根強いファンのお陰で、この映画も残っていた。仲間の処刑を知った源三郎が韋駄天走りで駆けつける。伊藤大輔を彷彿させる移動撮影で、クライマックスの緊迫感を盛り上げている。
題名不詳
題名不詳
尾上松之助
松之助の侠客もの。遺作は「侠骨三日月」だが、清水次郎長役かも知れず特定できない。衣裳や髷に特徴があり、近い内に特定できるだろう。大スター松之助が大正末に亡くなり、彼の演じた剣客豪傑を誰もが演じられるようになり、ちゃんばら映画の黄金期を迎える。
瞼の母
1934年、千恵プロ、稲垣浩監督、片岡千恵蔵
長谷川伸の股旅ものの傑作。番場の忠太郎は幼少に母と別れて博徒となり、母を捜し求めた旅を続けるが、江戸の料亭女将が母らしいと面会を求める。女将は話から実子と分かるが、金目当てと疑い、突き放す。この玩具映画は、母との再会と別れ、追手との剣戟場面。
丹下左膳・日光の巻
1936年、日活、渡辺邦男監督、大河内伝次郎主演
「新版大岡政談」に登場した片目片腕の怪物、元々辻斬りなど平気で行う悪人役であった丹下左膳は、大河内伝次郎の当たり役となり、異色のヒーローとしてシリーズ化された。原版はトーキーである。玩具映画では音声帯はなく、ちゃんばらシーンだけが集められている。
題名不詳 橋の上での斬り合い
浪人の群
1931年日活大将軍、渡辺邦男監督、河部五郎主演
剣戟(ちゃんばら)映画全盛期の群集による乱闘時代劇の典型である。捕り手に囲まれ、凄まじいまでの乱闘劇は、当時の撮影技術の水準と勢いを彷彿とさせる。主演の河部五郎は、尾上松之助亡き後の日活時代劇の看板スターとなった。
女に救われ一命をとりつめる
次郎長一番斬り 追分三五郎
1935年日活=太秦発声、辻吉朗監督、黒川弥太郎主演
清水次郎長外伝の一つ。森の石松が騙し討ちにあって惨殺された後、追分宿で都鳥一家が次に次郎長の命を狙い、殴り込みをかける相談をしている。三五郎の機転で、次郎長たちに知らせ、奇襲して石松の仇を討つ。「次郎長一番斬り」は玩具映画用に付けられた題名。
丹下左膳 第二編
1934年、日活太秦、伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演
大岡政談で人気が出た片目片腕の豪傑、丹下左膳の第二編「剣戟の巻」。百万両の在り処の秘密が隠された「こけ猿の壷」をめぐって展開する。この玩具映画では、第二編とだけしか表記されていない。もちろん、剣戟シーンのみ。これも劇場用はトーキー作品。
赤穂浪士一番槍
1931年、右太プロ=松竹、白井戦太郎監督、市川右太衛門主演
赤穂浪士四十七士の一人、横川勘平宗利。浅野内匠頭が吉良上野介への刃傷となった時、江戸勤めであった。取り潰しとなり、離散する家臣たちの中、最後まで忠義を通した英雄として描かれている。劇場用では「赤穂浪士快挙一番槍」の題名であった。
題名不詳 宴会中に呼びに来る
燃える渦巻
1924年、日活、池田富保監督、尾上松之助
200フィート巻き、2巻もので販売されていた。大正期の大作時代劇で、松之助は特別出演。ダイジェストというより、単に切り売りされたもの。松之助は頭巾姿の侍で登場し、後半部には一切登場しないが、貴重なものであることに変わりない。
続大岡政談・魔像解決篇
1931年、日活、伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演
続大岡政談は、丹下左膳ではなく、茨右近が登場。大河内は大岡越前守と神尾喬之助と茨右近の三役を演じる。伊藤大輔真骨頂のクライマックスの壮絶な立ち回りは大河内二役をこなした凄まじい乱闘シーンとなる。










































